学位論文の詳細
子どもの頃のつらい経験と、高齢期の不眠。地域とのつながりは助けになるのか
はじめに
眠りは健康を支える生活習慣のひとつで、睡眠時間と死亡リスクの関連も、前向き研究のメタ分析で示されています(Cappuccio et al., 2010)。日本では高齢者の約3人に1人が睡眠の問題を抱えているとされ(Watanabe et al., 2020)、高齢期の眠りを守ることは公衆衛生上の課題です。
近年、子どもの頃の逆境的な体験が、大人になってからの眠りに関わるという視点が注目されています。私は博士論文の研究のひとつとして、この問いに「地域の人とのつながり」という切り口から取り組みました。本記事では、その背景と結果、読み方を整理します。
子ども時代の逆境(ACE)とは
ACE(Adverse Childhood Experiences、小児期逆境体験)は、18歳までに経験した虐待やネグレクト、家庭内の困難などを指します。米国の大規模調査(Felitti et al., 1998)以降、成人後の病気や死亡との関連が知られるようになりました。決して珍しい経験ではなく、米国の成人の63.9%(Swedo et al., 2023)、日本の高齢者の67%(Matsukura et al., 2023)が、少なくとも1つを報告しています。
ACEと眠り:これまでにわかっていること
ACEは、うつ病や虚血性心疾患、早世、そして睡眠の問題と関連することが報告されています。系統的レビューやメタ分析でも、ACEのある人ほど睡眠の問題が多い傾向が示されています(Kajeepeta et al., 2015; Yu et al., 2022)。とくに情緒的な虐待やネグレクトは不眠と一貫して関連し、ACEの数や種類が多いほど不眠が起こりやすい傾向があります(Bader et al., 2007; Wang et al., 2016)。
背景には、生物学的な仕組みと社会的な仕組みの両方があると考えられています。生物学的には、レム睡眠の途切れや夜間の覚醒の増加(Bader et al., 2007; Insana et al., 2012)、ストレスに関わる遺伝子のエピジェネティックな変化によるストレス反応性の高まり(Van Someren, 2021)が指摘されています。社会的には、ACEのある人は人生を通じて強いストレスにさらされやすく(Kajeepeta et al., 2015)、それが眠りを損なう方向に働く可能性があります(Greenfield et al., 2011)。
「つながり」は眠りの味方になるのか
では、ACEの影響は避けられないのでしょうか。ここで注目したのが、人と人とのつながりが持つ力、社会関係資本(ソーシャル・キャピタル)です。社会学者ブルデューが「社会関係に埋め込まれた資源」として提起し、のちにパットナムが、信頼・規範・ネットワークとして公衆衛生に広めた概念で、信頼や助け合いといった側面と、社会参加やネットワークといった側面に整理されます(Kawachi & Berkman, 2000)。つながりが豊かな人ほど心身の健康状態が良い傾向が報告されており、睡眠時間との関連を調べた研究もあります(Yang et al., 2022)。
つながりは、ACEの悪影響を和らげるかもしれません。児童虐待の経験者では、強い人間関係が精神疾患のリスクを下げることが報告され(Afifi et al., 2016)、認知症でも、ACEのある人でつながりが関わるという報告があります(Tani et al., 2021)。
一方で、助けにならない可能性もあります。ACEは感情の処理に関わる脳領域の発達に影響しうるとされ、対人関係を難しくして、つながりを活かしにくくするかもしれません(Teicher et al., 2016)。暴力が世代を超えて連鎖しやすいことも指摘されており(Koga et al., 2024)、人間関係が逆境を再生産する場合もあります。社会関係資本の「負の側面」にも目を向ける必要があります(Portes, 1998; Villalonga-Olives & Kawachi, 2017)。
ACEと不眠の関連がつながりで変わるかを、高齢者で調べた研究は、私の知る限りありませんでした。そこで、(1) ACEと不眠の関連、(2) その関連がつながりで変わるか、の2点を調べました。つながりは、先行研究(Saito et al., 2017)に従い、社会参加、地域の結びつき、互酬性の3つに分けました。側面ごとに働き方が異なる可能性があるためです。
どのように調べたか
日本老年学的評価研究(JAGES)のデータを使いました(Kondo & Rosenberg, 2018)。全国の市町村に住む65歳以上の方への郵送調査のうち、2013年と3年後の2016年の回答が揃った8,890人が対象です。
不眠は、2016年に過去1か月の症状をアテネ不眠尺度(Okajima et al., 2013)で評価し、6点以上を「不眠あり」としました。医師による診断とは異なります。ACEも2016年に、18歳になる前の経験を振り返って尋ねました。親との死別、親の離婚、親の精神疾患、父から母への暴力、けがをするほど強くたたかれた経験、親に愛されていないという感覚、暴言や侮辱、子ども時代の貧困の8項目で、当てはまる数を合計しています。つながりは2013年に、社会参加(趣味やボランティアなどのグループへの月1回以上の参加)、地域の結びつき(近所への信頼・助け合い・愛着)、互酬性(悩みを聞いてくれる人・聞いてあげる人などの有無)の3つで測りました。つながりが先、不眠が後という順序です。

分析では、年齢、性別、収入、教育、持病などの影響をそろえ、不眠のある確率の違いを倍率(相対リスク)で推定しました。ACEの影響がつながりの高低で変わるかも検討しています。抑うつ症状は、途中の経路にも共通の要因にもなりうるため、調整しない解析と調整した解析を併記しました。
結果①:ACEが多い人ほど、不眠が多かった
対象者のうち、ACEが0個の方は32%、1個は33%、2個は18%、3個以上は6%でした(残りは回答が欠けていた方です)。ACEが多いほど、低所得や低学歴の方が多く、年収200万円未満は0個で41%、3個以上で62%、教育年数10年未満は28%と62%でした(いずれも無回答を除く)。つながりの平均値も低い傾向でした。
不眠のある方は、ACEが0個で19%、3個以上で35%でした(調整前。不眠の回答があった方のうちの割合)。年齢や収入などをそろえても、ACEが1つ増えるごとに不眠のある確率は1.19倍(95%信頼区間 1.15〜1.23)で、抑うつ症状まで調整しても1.14倍と、関連が残りました。
結果②:つながりが多い人ほど、不眠が少なかった
つながりの得点が標準偏差1つ分高い人では、不眠のある確率は、社会参加で0.92倍、地域の結びつきで0.87倍、互酬性で0.94倍と、低い傾向でした。抑うつ症状まで調整すると、社会参加と互酬性の関連ははっきりしなくなり、地域の結びつきだけが0.93倍と残りました。

結果③:つながりは、ACEの影響を和らげていたか

中心的な問いへの答えは、「和らげる関係は、ほとんど見られなかった」でした。地域の結びつきと互酬性では、ACEと不眠の関連の強さは、つながりの高低でほぼ同じでした。社会参加では、参加が多い人ほど関連がごくわずかに強い傾向がありました(ACE1つあたり1.04倍、p = 0.03)。ただし、差は2ポイント程度と小さく、解析の方法で有意かどうかが変わる程度です。「社会参加は逆効果」と読むのは適切ではありません。
結果をどう読むか
ACEと不眠の関連は、先行研究と一致します。持続的な過覚醒のように(Werner et al., 2021)、ACEがストレス反応に長く影響を残すことが、背景にある可能性があります。
社会参加でわずかに強まった点について、論文では、ACEのある人が参加の場で人間関係の負担を感じやすい可能性を考察しています(Chung, 2017)。ただし、今回確かめたものではなく、仮説です。地域の結びつきでは、信頼や安心感といった良い面と、同調圧力(Villalonga-Olives & Kawachi, 2017)や評判を気にする心理(Huang et al., 2025)といった負の面が、相殺した可能性があります。それでも、地域の結びつきは、ACEの有無にかかわらず、不眠が少ないことと関連していました。ACEのある方にも意味のある結果だと考えます。
同じデータで認知症を扱った先行研究(Tani et al., 2021)では交互作用が報告されており、今回の結果とは異なります。アウトカムの性質(認知症は長期の蓄積、不眠は比較的短期の状態)や、測定時期などの違いが考えられます。
実践面では、参加を勧めるときに量だけでなく安心して過ごせるかという質に目を向けること、地域全体の結びつきを高めることが重要だと考えます。日本では、住民が集う「通いの場」の効果の検証が進み、とくに社会経済的に不利な人で健康長寿との関連が示されています(Ide et al., 2025)。ただし、不眠を減らすかどうかは、今後の研究課題です。
おわりに
ACEが多い人ほど、高齢期に不眠の症状がある方が多い傾向が見られました。つながりが豊かな人ほど不眠は少ない傾向で、地域の結びつきは、抑うつ症状を考慮しても関連が残りました。一方、つながりがACEの影響を和らげる関係は、限定的でした。ただし、観察研究のため、因果関係までは示せません。
ACEの経験は、その後の眠りの困りごとと関連しうるものの、将来を決めるものではありません。地域の結びつきを育むことが、ACEのある方を含む高齢者の眠りの助けになるかどうかは、今後の研究で確かめる必要があります。
調査にご協力くださったJAGESの参加者の皆さまに、心より感謝します。
※本記事は研究内容の紹介であり、個別の医療上の助言ではありません。
論文情報
Tomono N, Hanazato M, Kondo K, Ide K, Nakagomi A. Associations between adverse childhood experiences and insomnia: The moderating role of social capital in a three-year longitudinal study from the Japan Gerontological Evaluation Study. Preventive Medicine Reports. 2025. https://doi.org/10.1016/j.pmedr.2025.103319
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